文明の十字路‘トルコ’の旅
1998年(平成10年)10月26日(月)に出発
トルコの国旗とナザール・ボンジュー
「ナザール・ボンジュー」は邪視を防ぐといわれているお守り。
自動車や家の入り口につけたりする。
ホテルの入り口には大きな‘ナザール・ボンジューがあった。
「文明の十字路トルコ十日間」の旅に行ってきました。
平成10年(1998年)10月26日(月)に出発しました。
今から8年前のことです。
旅行代金は168,000円でした。
◆1日目(10/26)
ルフトハンザドイツ航空の利用なので、フランクフルトでトランジットし、イスタンブールに入りました。
飛行時間は、東京から12時間50分です。
イスタンブールには夜中に到着しました。
雨のイスタンブールです。気温は20℃。
トルコの時差は日本より7時間遅れです。
空港からホテルまで30分の間に現地添乗員のクランさんから注意事項ありました。
・ジプシーや物売りが多いので気を付ける事。
・ホテルの水は飲んではダメ! 水は「ス」という。
・トルコ人の98%はイスラム教徒。政教分離の国。
・1,500トルコ・リラ=約1円(98年5月現在)
・チップの話 トルコリラ
枕チップ=1ドルまたは25万トルコリラ
トイレ(ドライブイン・昼食場所)チップ=5万トルコリラ&10万トルコリラ
「トイレのチップで、5万使うのよ」と帰国してから皆に自慢(笑)
・トルコ料理はフランス料理、中国料理と並んで、世界三大料理のひとつとされている。
イスタンブール(ホテル。ニッポン)泊
◆2日目(10/27)
☆ 行程:イスタンブール →専用バスとフェリー→ チャナッカレ →専用バス→ トロイの木馬 →専用バス→ チャナッカレ
いよいよ旅の始まり
‘イスタンブール’よりフェリーで専用バスごと‘チャナッカレ’へ渡る。34km。
ヨーロッパ側からアジア側へ渡る。
‘チャナッカレ’はアジア大陸の西の果て、ダータネルス海峡にのぞむ港町である。
ギリシャの詩人ホメロスの叙事詩「イーリアス」に登場する「トロイの木馬」を観光。「世界遺産」
ダータネルス海峡の南に「トロイの遺跡」がある。
「トロイの木馬」(木馬の中にギリシャ兵を潜伏)
*トロイのヘレン
・3200あるモスクはほとんど‘遺跡’だという。
・モスクのバルコニーでは、早朝にエザン(アーザン)を唱えるのだそうです。
その後、ホテルへ、チャナッカレ(ホテル・アコーレ)泊
◆3日目(10/28)
☆ 行程:チャナッカレ →専用バス→ ベルガマ →専用バス→ イズミール →専用バス→ クシャダン
専用バスの移動なので、ガイドさんがいろいろな「トルコ」の話をしてくださいます。
・「松の木」と「オリーブの木」は神の好きな木。
・チャナッカレは城壁の町。
・チャナッカレには、「ラク」という地酒があり、アンズの味で、45度で、別名「ライオンのミルク」といいます。
・「トルコ」は山国。
・湖が多い・・・ワン湖、エン湖、ベイ湖、エイ湖 などなど。
・ナスの料理は、380種類もあるとか。
・トルコ語
メルハバ=こんにちは
ギュナイドン=お早うございます
イイ・ゲジェレル=おやすみなさい
テシェキュル・エデリム=ありがとう
ビル・シェイ・デイル=どういたしまして
ビラ=ビール チャイ=紅茶 コーヒー=コーヒー
「ベルガマ」は紀元前よりの遺跡が多く残り、アクロポリス、アクスビオン等を観光。
頂上に聳える「トラやナス神殿」
急な斜面を利用して作られた「大劇場」
「アスクレピオン」実在したとされるギリシャの医療の神、アスクレピオスにちなんで造営された古代の総合医療センター跡。
「ベルガマ」は「トルコ石」の産地で、金が入っている。
一つ買ってきました。
その後、地中海のリゾート「クシャダン」へ。
クシャダン(ホテルサルメリ)泊
◆4日目(10/29)
10月29日は「トルコの建国記念日」でした。
600年続いた‘オスマントルコ帝国’から近代化に向けスルタン制を廃止しトルコ共和国を樹立した、初代大統領「ムスタファ ケマル アタチュルク」を称えた、75年目の「建国記念日」だったんです。
いたるところに、国旗が掲げられていました。
☆ 行程:クシャダン →専用バス→ エフェソスの遺跡 →専用バス→ パムッカレ
クシャダンよりエフェソスへ。
「エフェソス観光」
・「エフェソス」は、その名の由来や起源についてははっきりと分かっていない。
・「エフェソス」は、古代の街である。
・紀元前7世紀に、エフェソスはキンメル族に攻撃され、その後再建し、紀元前6世紀には、輝かしい時代を迎えた。
・その後、リディア王国→ペルシア王国の支配下におかれ、紀元前334年には、アレキサンダー大王の支配下に置かれた。
・アレキサンダー大王の死後、暗黒の時代をむかえ、紀元前287年には、リシマコス帝の支配下におかれる。
・現在残っているもののほとんどは、リシマコス帝の時代に作られたもの。
・ローマ帝国に支配された「エフェソス」は、アウグストゥス帝の時代に、アジア州の首都となった。
・262年に、ゴート族によって襲撃・・・二度と昔の栄華を取り戻すことは出来なかった。
紀元前10世紀から6世紀のローマ時代に至る千数百年に及ぶ歴史を有する、このエフェソスの都市遺跡は、私たち数時間のツアー旅行ではほんの一部を駆け足で見て回ることしかできないほど、とても広大で、見所も非常に多い素晴らしいところです。
**大昔の壮大な歴史をひも解かなくてはならないが、とにかく、こんなに偉大な遺跡にただただビックリ!!
「エフェソス観光」入場券、1,000,000TL(トルコ・リラ)
「オディオン」(音楽堂)当時は上部は屋根でおおわれていたらしい。
紀元後150年に建設。
約1500人を収容できた。
音楽堂だけでなく、会議場としても使用されていた。
「ドミティアン神殿」
ドミティアン帝が殺害された後、帝の父(ヴェスパシアス)に捧げられ、1世紀に建てられた神殿。
皇帝のために建てられた最初に神殿であったが、その後、民衆の皇帝に対する憎悪によって、この神殿は破壊され、石碑から「ドミティアン」という名が、消されてしまった。
「ポリオの泉」ドミティアン神殿の一角にあって、大きくて高いアーチ状のもの。
「勝利の女神・ニケのレリーフ」です。
ヘラクレスの門のアーチとして飾られていたものです。
「クレステ通り」。
ドミティアン通りと、セルスス図書館をつなぐメインストリートである。
「トラヤナスの泉」
トラヤナス帝の為に作られたもの。
「アルカディアン通り」
「クレテス・ストリート」のモザイク画、花鳥風月が描かれている。
美しい装飾の「ハドリアヌス神殿」(これはコピーでオリジナルは考古学博物館にある)
正面のアーチには、エフェスの守り神であるニケが、奥のパネルにはメドーサの像がある。
「大理石通り」(セルスス図書館と大劇場をつなぐ道)には、古代の売春宿の広告がある。
これより足の小さい者は売春宿を利用してはいけない。
壮麗な「ケルスス大図書館」かっては蔵書が1万2000冊もあったそうだ。
「古代の公衆トイレ」が、ずらりと並んでいる。仕切りがないが、今でも使えそうです。
「アルテミス神殿」
たった一本残った神殿の柱。
アルテミスとは豊穣の女神のこと。
紀元前7世紀ごろから神殿が建立され、建築期間120年。
高さ19m、直径1.2mの円柱を127本持つ、この神殿の壮大さは元祖「世界の七不思議」。
現在は、一本の円柱が建つのみで、周辺には円柱の破片がゴロゴロ転がっている。
「聖母マリアの家」は教会になっている。マリアの最後の場所と言われている。
ちょうど、日本の神社のおみくじみたいにたくさんの小さな布が、結んでありました。
ここから自分宛に郵便を出す。スタンプに小さなマリア像が・・・
・昼食は「ミニシシカバブ」でした。
その後、パムッカレに向う。
パムッカレ観光。「世界遺産」
・トルコ語で「綿の城」と呼ばれる階段状の不思議な温泉。
・白い石灰棚に溜まった湯。かつてローマ帝国の保養地だった。
・高さ200m、幅約1kmにわたって、純白の石がツララのように垂れ下がっていて、多量の石灰質を含んだ温泉が斜面を流れ落ちる時、石灰質だけが残り、この幻想的な景観になった。
裸足になって、遊歩道を歩くことが出来ました。
ざらざらしていて、足裏が痛いです。
パムッカレ(ホテル・リッチモンド)泊
◆5日目(10/30)
☆ 行程:パムッカレ →専用バス→ コンヤ →専用バス→ カッパドギア
パムッカレよりカッパドギアへ、専用バスで750kmの走行です。
途中「コンヤ」の市内観光をしました。
・イスラム教神秘主義の一派メヴラーナ教団の発祥地。
・モスクが一番多い町。
・モスクに入る時には、女性の場合、スカーフをかぶります。
「メプラーナ博物館」
踊る宗教の教祖メプラーナの霊廟
「コンヤ聖堂」
「カラダイ神学校」
スルタンファン「隊商宿」
「コンヤ」から「カッパドキア」に向う途中に立ち寄りました。
どんどん専用バスが走り、ようやく「カッパドギア」(天下の奇岩)に到着。
カッパドギア(ディンラー)泊
◆6日目(10/31)
☆ 行程:カッパドギア →専用バス→ アンカラ
「カッパドギア観光」
・トルコの秘境奇岩群である。
・キノコ状の岩に代表される奇岩の不思議な景観。
・キリスト教の修道士たちが奇峰に蜂の巣のような穴を掘って内部に美しい壁画のある聖堂や僧坊、会食場などを築いている。
・地下何十メートルにも掘り下げられたカイマルク「地下都市」。
昼食は洞穴レストラン
工房・・・絨毯の工房やタイル絵皿の工房へ行く
タイル絵皿の工房と私が購入した、絵皿
・カッパドギア →「寝台特急アンカラ・エクスプレス」→ アンカラ
・車中泊
◆7日目(11/01)
☆ 行程:専用バス→ イスタンブール
「イスタンブール市内観光」
「テオドシウス1世のオベリスク」
テオドシウス1世のオベリスクは、高さ25.6Mでエジプトから運ばれたものです。
もとは、紀元前1490年代にトトメス3世が戦勝記念にカルナック神殿に建てたもののひとつだそうです。
「ブルーモスク」(スルタンアフメット・ジャミイ)
6本のミナレット(尖橋)を持つ、最も美しいモスク
内部はブルーのタイルがふんだんに多用されており、色ガラスを使った窓が見事な装飾を施されている。
これが260カ所の窓に色鮮やかなブルータイルが施され、これがブルーモスクといわれているゆえんである。
「ブルーモスク」の内部
天井からたくさんなロウソクを供されたシャンデリアが吊るされて飾られていました。
床には、一人一人が座って祈れるように、区切りの入った絨毯が敷き詰められています。
ドーム
「アヤ・ソフィア」=ビザンチン遺築の大聖堂
・「ブルーモスク」と「トプカプ宮殿」の間に立っている。
・正面に見える大きなドームは直径33メートル、高さ55メートルもの大きさがあり、世界七不思議にも選ばれたほどの壮大な建物です。
「地下宮殿」
・地下宮殿はトルコ語でイェレバタン・サルヌジュと言い、6世紀ビザンチン時代の貯水池です。
・一本の長さが8mのコリント様式の柱が全部で336本有り、縦140m・横70mの空間を支えている。
メデュウサの首
地下宮殿の柱を支えるメデュウサの首です。
何ヶ所にも、この首を見る事が出来ました。
なみだ目の柱
「トプカプ宮殿」
・オスマントルコ帝国の皇帝の城跡
・オスマン時代に集められた豪華な財宝は宝物館で公開されています。
ムスタファ3世の鎧 ダイヤモンドがちりばめられています
夕食=本場のベリーダンスを見ながらのデイナーでした。
イスタンブール泊
◆8日目(11/02)
☆ イスタンブール
東洋と西洋を結ぶ、ボスフォラス海峡クルーズ
イスタンブールで自由観光
エキゾチックな都会、
グランド・バザール観光
イスタンブール泊
◆9日目(11/03)
イスタンブールからルフトハンザ航空にて「フランクフルト」で、乗り継ぎだった。
フランクフルト着が、08:05だったので、出発まで5時間ばかり余裕があったので、希望者だけ(ほとんど)「フランクフルト観光」をしました。
添乗員さんが、フランクフルトに詳しい方だったのは、ラッキーでした。
フランクフルト「レーマベルク広場」の観光
「レーマベルク広場」は、フランクフルト発祥の地だそうです。
レーマー広場から大聖堂を
◆9日目(11/04)
帰国
成田空港着に無事到着。
*** この文は、2006年(平成18年)10月22日に作成したものです。
*** 画像は、当時の写真を、「よみがえりショット」でデジカメで、よみが えらせた写真です。
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